KOKOROMIのきかっけ
■転職に失敗し人生を絶望
私は、20代後半に差し掛かるときに転職に失敗をしたことがきっかけで、自分の人生を悲観し自分の存在意義も見失い、人生に絶望して生きるのが辛くなり自殺を考えてしまう時期がありました。
特段誇れる学歴もなかったこともありますが、そもそも強い結婚願望があるわけでもなく何か欲しいものがあるわけでもなく人生における生きる理由に値する”欲”というものが無かったからです。
しかし、自殺する勇気もないため、気を紛らわすために「7つの習慣」や「道を開ける」をはじめとした自己啓発本や心理学や哲学の本を読み自分の生きる意味を見出そうとしていました。
そんな中、7つの習慣の中に
「もし、お互いの人生を生きやすくするためではないとたら、私たちはなんのために生きているのだろうか?」
という自分のことよりも他の人のために尽くす=利他の生き方に感銘を受け、自分の存在意義を見出しました。
例えば、朝の食卓にパンがあるのは大まかに農家の人や流会社の人、スーパーの店員さんといった具合にたくさんの人がそれぞれの役割を果たして、協力し合うことで朝の食卓を実現しています。
■誰にも相談ができない苦しい状況
人は何か困ったことがあったり悩んでいることなどがあれば、家族や友人などに話を聞いてもらい吐き出したくなるものです。
”利他”に自分の存在意義を見出して人生を再出発した私はまた別の会社に転職し働いていました。
そして、ふとしたことがきっかけで、好きになってはいけない人を好きになってしまいました。
私は好きになった人には積極的にアプローチをかける性格をしています。その為、毎日その人と職場で顔を合わせるものだから、好きだという感情を抑えて理性を保ちアプローチをかけないようにすることが本当に辛かったです。
休日もその人のことを考えてしまい忘れようとしても忘れないため、これはまずいと思い、もう一度自己啓発本や心理学の本など読み漁りました。しかし、どうしても理性では感情を抑えることができませんでした。
また、内容が内容なため、職場の人にも相談ができずこの気持ちを吐き出したいのに吐き出せません。
その為、親しい友人に話を聞いてもらい溜まっていた気持ちを吐き出しました。吐き出すことで少しは気持ちが楽になりましたが、結局次の日朝起きるとその衝動は襲ってきました。
そのとき、”理性では解決できない感情が強く伴う問題”は自分で解決するしかないと思いました。
しかし、感情を抑える方法がわからずいつの間にか精神が不安定な状態になり、なにか不安や焦燥感といったものが襲ってくるようになり、神にでもすがりたい気分になってしまいました。
■般若心経との出会い
このような精神的に不安定なとき、偶然にも作家のみうらじゅん氏のアウトドア般若心経という本に出合いました。般若心経とは漢字262文字で説いている経典です。
この本では、その漢字一文字一文字をすべて街中で一文字ずつ撮影した写真を集めて、般若心経262文字を写経した非常にユーモアに富んでいる本です。
また、わかりやすくみうらじゅん氏の観点から般若心経を解説しており、どちらかというと写真集に近く、すぐ読める面白い本です。
私は元々、旅行や観光で神社仏閣巡りが好きだったこともあり興味を持ち、本を読んでみたところ初めて般若心経の意味を知りその内容に驚かされました。
般若心経というこの世のものはすべて「空」「無」であり実在しない、実在しないものに執着して苦しむのは意味がなく、そして、苦しみを解決する方法もない。
なぜなら苦しみというものがこの世には存在しないのだから…という考えです。
自己啓発本、心理学、哲学書に特有な”小難しいことを言っている”ことがあまり感じられなく、すべてを潔く切り捨てた気持ちよさを覚えるこの考え方に感心しました。それと同時に般若心経の魅力に気づかされました。
■仏教に関する豆知識
ちなみに、かの故スティーブ・ジョブズ氏も禅を好んでいたことは有名な話です。
また、世界で1つの会社が100年以上も続いている会社が最も多い国は、日本であることはご存じでしょうか?これは世界でも突出していると注目されています。
その理由の一つとして日本の仏教の精神が根強く関係していると考えられており、世界経済フォーラムであるダボス会議に日本の有名な僧侶を会議に招待し、名だたる国を代表する経営者の方々はその仏教の考えを聞き経営手法の参考にしていたりします。
■感情を抑えて自己解決に励む/すがりたい相手を探していた
そこから、仏教の教えに関する書籍や仏教の教えをビジネスに取り入れている書籍などを読み漁りました。
しかし、仕事から帰宅した後、休みの日のふとした瞬間にその女性を思い出してしまい不安や焦燥感に襲われてしまいました。
その為、神にでもすがりたい気持ちで必死で般若心経を写経したり、声に出して読んでみたりして意識を集中させ、なるべく思いださないようにしました。
ですから、当時は誰かにすがりたい、神にでもすがりたかった私は何か夢中になれるもの、すがれるものを探していました。そして、なんとかこの問題が解決できるようにと心の中で祈っていました。
また、当時の私は神社仏閣で祈るときと同じように部屋の中でも何か対象物に向かって祈る・願う・自分を励ました方が実感が湧きやすく、プラシーボ効果的なものも期待ができるのではないかと考えました。
とにかく、祈ったり、願ったりする対象物がないとどうも分かりづらいと感じていました。
鏡に向かってみましたが恥ずかしく違和感しかありませんでした。
そんな中、般若心経を説いている観音様はどんな人物なのか?と気になり、観音様について調べました。
■般若心経を説いている観音様とはどんな人物なのか?
観音様がその弟子に説いた説法が般若心経です。
観音様は修行を終えたのにも関わらず、現世に戻り、衆生を救済しつつ改めて修行をするという慈悲深く、高潔な人物です。
私は、観音様は他者に対して誠実であり自分の信念を貫く非常に高潔である人物であり、
自分の目指す生き方を実践している方だと知りました。
また、ある僧侶さんの”拝む”ことの1つの考え方に感銘を受けました。
その僧侶さんの考える”仏様に向かって拝む”とは、次のような考えになります。
■拝む人の心に神様が宿っているというある僧侶さんの考え
仏様とは、単に仏師が彫った像に過ぎず、仏様や神様は仏像の中に存在するわけではありません。
それらは、拝む人の心の中に宿っていると考えられます。
花を仏壇に供える場合も同様でその花は拝む人々の心に向けて供えられています。
もし仏像が本当に神様でありその仏像自体が拝む対象であるとすれば、
花を裏側に向けて供えることはありえません。
拝む人の心に神様が宿っているからこそ、すべて拝む人に向けて供えられているのです。
拝むことは自分自身に向けられたものと言えるのです。
この仏様に向かって拝むという行為は拝む人の心の中の神様に向けたものであるということ。
私は心の神様=自分の可能性とも捉えることが出来ました。
また、多くの人は初詣で祈りを捧げています。
この考え方を踏まえると自分に向かって祈り・願い事をしているというようにも解釈ができます。
■自分の過去の苦い経験。他者にすがることのリスク
お恥ずかしい話ですが私がまだ20代前後の頃、3人もの女性に浮気をされたことがあり、
その相手が自分の先輩や後輩であったことも含め約半年の間、人間不信に陥った経験があります。
また、あやうくビジネスに関する詐欺の被害にも遭いそうになったことも何度かあります。
これらの私の経験だけではなく世の中には他者に依存することで、生まれるたくさんのトラブルが行っているのは周知の事実だと思います。
人間は誰でも不確定な未来への不安や恐れを抱えています。
例えば、悪徳な宗教や詐欺に引っかかってしまう人はそれらの心理的な不安や恐れを払拭するために、詐欺師や宗教家によって与えられる安心感や希望に惹かれる場合があります。
また、自己実現や成長を目指している人が急激かつ容易な方法で目標を達成できると信じ込んでしまうこともあります。
会社を経営している方であれば高い利回りを保証する投資商品や株式投資などの情報を持ちかけられたり、不利益を被るような不当な業務委託や提携の誘いを信じ込んでしまうこともあるでしょう。
このように、「自分の弱さに付け込まれ、他者に依存してしまい被害に遭う」ことや、自分以外の家族や友達、彼女などに依存して何かしらのトラブルに発展してしてしまうことは昔から様々な形で社会問題として表れています。このようなことに巻き込まれないためにも、日ごろから他者とは程よい距離感を保つ必要があります。
これらの
・誰かにすがりたい
・他者にすがることはリスクがある
・他者にすがっても、結局のところ、自分の問題は最終的に自分で決断しなければ問題を解決できない
・自分の問題を解決できるのは自分だけである
・祈ったり、願ったりする際にその対象物が欲しい
・自分も観音様のような生き方を実践したい
・観音様は今を生きている人にぴったりの仏像ではないか
・自分の心の中の神様=自分の可能性を信じてみたい
ということを踏まえ他者に依存して自分が傷つかないだけではなく、金銭的な被害に遭わないようにするためにも、1つの手段として、自分の心の神様をつくり信じて祈り願うようにしました。
さらに自分の心の中にある神様を具現化したものを観音菩薩像として、祈りや願いを行いすがってみれば良いのでは?と思いつきました。
普通では考えられないような頭のおかしい発想だと思う人はたくさんいらっしゃると思います。
しかし、切羽詰まっていてどうしようもない、神にでもすがりたいと辛い毎日を過ごしていた私にとっては、この誰かにすがる・祈る・願うという行為は不思議なものでその当時、苦しみから解放されるための最後の手段と考えられました。
■観音菩薩像を自分の心の中の神様と見立てるという考えのもと、”自分”を購入
もちろん”自分”を購入する訳ですから、相場の金額のものでは気が乗りませんでした。
何故ならクオリティも値段相当だからです。
仏像は仏教美術=美術品としての価値もありますから、せめて10万円代でクオリティが相場のものより良いものがいいと思い、ボーナスを使って仏像の美術品としての美しさに見とれつつ老舗の店舗で聖観音菩薩像=自分を購入しました。
一般的には仏像とは死者を供養するご本尊の役割という認識が主流だと思います。
しかし、厳密にいうと少し違います。供養するご本尊の役割を成しているのが阿弥陀如来といって、奈良や鎌倉の大仏様です。観音菩薩像は死者を供養用として使われることは一般的ではありません。
当時の私は観音様は現世で慈悲の手を差し伸べているということから、観音菩薩像は私たちのように今を生きている人にぴったりの仏像ではないかという考えにも至りました。
■”自分”を購入後
それからは、起床時、就寝時は必ず、「おやすみなさい」ですとか、「行ってきます」といった最低限の挨拶のほかに、気が向いたときなどに自分という観音菩薩像に向かって問題が解決するように祈ったり、願ったり、話しかけたりとしました。
本当に精神的に追い詰められていましたから必死に祈り、願いました。
ばかばかしいと思われる方もいらっしゃると思いますが、人間、追い詰められると、本当にそんなこと気にしていられないのです。もちろん部屋で1人ですが。
部屋で1人、自分に向かって祈る、願う、話しかけたりするわけですから、恥もなく見事に心の中にたまっている鬱屈?というかものを吐き出せ、意外と心の中がすっきりしました。
もちろん、自分で自分を励ましたいときはその仏像に向かって励ましました。仏像に自分の名前を言って、「頑張ろう」とか、「自分ならできる」、「今日もお疲れ様」といいた具合です。
また、部屋に仏像がある生活は、旅行・観光で神社仏閣に参拝したような、少し神秘的で非日常感があり、心が癒される感じがあります。
■”自分”の心の中の神様にすがって2~3ヶ月後
そんな自分の心の中の神様を具現化した観音菩薩像に対してすがるように生活をして、2~3か月ほど経過したときでしょうか。いつの間にかその女性のことはそこまで気にならなくなっていたことに気がつきました。
その女性に対して感情が収まり理性の方が勝っている状態で、不安感や焦燥感は消えていました。
■精神的な安定、思考力の向上の実感
さらには何か困ったことがあれば誰かに相談する前に仏像に向かって祈る=考えるといったことが、自然と習慣化していました。
そのため、他者に相談することも減り自分で考えるという思考力が付き、自己肯定感も向上していました。
その後、転職や社会人の大学院に通うなど人生において尽きることのない様々な問題に遭遇しましたが、思考力がついたおかげで人生の岐路においても恐怖や不安など抱かなくなりました。
焦ることなく冷静に物事を考え、落ち着いて行動に移すことができました。
悩んだ時や不安になったときにふと部屋にある自分という仏像が思い浮かぶようになり、
1人じゃないといった感覚を持てることができ安心感を得られるようになっていました。
このように気がつけばその質の是非はともかく思考力が向上し、自分が抱える尽きない人生の問題への対処方法や解決策を他者に頼らずとも落ち着いて考えられるようになりました。
自分の向かうべき方向を自分で考え、選択し、行動に移せるようになりました。
また、日常の悩み事で不安になったり嫌なことがあっても、家に帰り自分という仏像に対して、それらを吐き出して「大丈夫」や「気にするな」といった励ましの言葉をかけてみることで心がすっきりし、「じゃあどうすれば良いのだろうか?」と建設的な解決策を考えられるようになっていました。
このように自分という仏像があることで自然に自分と静かに向き合える時間が生まれるのです。
仏像を購入すると決めた時は正直ここまでの効果があるとは予想していませんでした。
想像以上に精神的に安定し不安や恐怖に悩ませられることがなくなり、理性的にものごとを考えられるようになりました。
仮に自分が決断した選択が誤っていたとしても自分が考え抜いて決断したことですから、腹を立てることもありません。失敗してもまた自分で考えて違う方法を探せばいいのです。
もちろん友人や知人と飲みに行って愚痴をこぼしたり不安に思っていることなどの相談にも乗ってもらっていますが、あくまでもコミュニケーションとして決して感情的になったり、問題が解決できるようなアドバイスを求めるようなことはしていません。
あくまでも参考になるアドバイスを貰えたらいいなという感じで相談するほどです。
■おわりに ~KOKOROMIのきっかけ~
そして、私自身の利他を仕事として昇華したいと考えるようになりました。
しかし、どのように仕事に昇華し仕事として成立させるか?その問題を解決すべく、当時勤めていた会社を辞め社会人の大学院に通いその考えを昇華し洗練化させていく中で、このKOKOROMIというあなた自身の仏像を販売するという考えにたどり着きました。
会社を辞めて大学院に通う、自分の事業を始めてみるという未知なる挑戦において経済的な不安や失敗したときの恐怖心というものが襲ってきましたが、自分という仏像があることでの不思議な安心感もあり、悩ませられることなく決意ができました。
以上が私のKOKOROMIを始めるきっかけとなったストーリーです。
自分という仏像がいることで自分と向き合う時間が生まれ、自分の心の良心に耳を傾け、冷静になって考え、行動を起こし、他者に依存せずとも問題を解決できるようになる。
KOKOROMIの仏像が少しでも皆さまの心の健康やメンタルウェルネスの向上、ウェルビーイングの実現に貢献できることを願っております。